山口熟女風俗と肉体的感覚

デリヘル嬢はなんとしても「気持よく」あってほしい。気持よくなくてはよろこびというものがない。美人でなくても気持ちとかこもっててテク上手であれば人間誰しも機嫌がよくなる。必ずニコニコドバドバ射精する。これがこころのけんこうをつくりけんこうなからだをつくりけんこうな社会をつくる源になっているようだ。
風俗を要求しているものはちんぽであるように思えるけれども、実は肉体の全部がからみ合ってデリを要求しているらしい。おれにはどうもそう思えてならないよ。デリよびたい俺の心というものもその総体のうちの一員であって常に性的な快感を理想としている。3大欲求だからね。この心さえ気持よくなれればその他の肉体的感覚に少々間違いがあってもなかったことになってしまうようである。
手コキだ、フェラチオだと言ってみても人間成人してセックスとか風俗を知ったやつは必ずしも心のよろこびとしては受け取らない、贅沢なことだしんでしまえ。まず自分の好きなスタイルやおっぱいしてる嬢でなくては、いかに人気ナンバーワンで美人の嬢であっても、充分な射精はできないであろう。だから他人がいかに「お気に」と言っても、自分の趣味じゃなければ、なんの意味もないのである。
他人のフェチズムとかは、人によってはなににもまさるデリ決定要素でもあり、どんなオプションよりすばらしいものともなるが、そういうのなんでもいいからとにかくヌキたいやって人には無価値である。熟女などもその一例であって好きじゃない人には全くの無価値である。否、ちょっと「あっ…」となって我に返ってちょっと風俗卒業するであろう。
人間一生涯自分の彼女とか好みの嬢ばかりで、一生一緒にセックス遊びを楽しんだら、誰しも文句はないはずである。にもかかわらず、大抵はパネマジ詐欺にあったりお金の問題で激安風俗にしかいけなくて手こきピンサロみたいな風俗で堪え忍んでいるというのが、実際のサラリーマンとかフリーターの主な風俗遊びになっている。あるいはとにかく射精できたらいいやって気持ちでいるが故に、適当にヌイている。そのどれかである。
そりゃ貧乏人であれば思うにまかせて風俗でブチ抜くっていうわけにもいかないということもあろうが、相当の金持ちでもえっちあそびの喜びを知らずじまいに過ごしている童貞とかがいるのは本当に気の毒のかぎりである。それにこういう人々には決ってなんか自意識こじらせちゃって恋愛も目も当てられないさまになるのを見逃すわけにはいかない。あわれ。
とは言っても、孔子の言った如く、「人生殖せざるはなし、よくセックスを知るもの尊きなり」は事実である。「一国の王者といえどもセックスはするし位人臣を極めた者とてセックスしなければ子供のこせなくてお家断絶」と若い頃大蔵大臣に言ってやったことを覚えているが、大体今でもその考え方は変っていないしセックスは実際尊い。
世間、性病に精通する者、包茎治療に熱心なやつは、数多く見受けることだけれども、目的をセックスに置き三度三度の風俗遊びの自由を謳歌し続けている者はなかなか簡単には見つからない。ただもう奥さんとかに媚びへつらって付和雷同し、自我なきATM、いわば馬車馬の如く働いてくい扶持の維持に大事の一生をまかせているかである。自分の趣味で好きな嬢を指名し、何度も何度もロングコースでたのしみつづけることが最高であるが、これを罪悪視し、ふしだら者とし、甚だしきは性犯罪者視し、フリーセックスを許さない陋習をふしぎとしない風習をつづけているがこれは精神衛生の上から深く考えて、セックスの自由を許すべきであろう。
しかし、実際問題となると情けないが誰とヤリたい、なにをヤリたいといろいろ願望があったとしても、答えはできないのである。なんでも訴訟とかで終る。
このようなことは山口熟女風俗においても言えることだろう。